震災と僕とアメリカ人たちー3月21日ーあたたかいミートソーススパゲティー

まったく清々しくない朝だった。
段ボールを下にひいて寝たせいで、背中と腰が痛い。

その日は復興支援ボランティアセンターに行く予定になっていた。
テッド、トッド、宣教師、医者そしてYさんとともに地下鉄で向かった。
着いて通された場所は体育館のような大きな会場だった。
復興支援のボランティアをするときには、ここで登録をし、必要に応じてセンターから具体的な支援の内容を指示されるという仕組みになっていた。
この仕組みを無視して自分の判断で被災地に行き何もできずに帰ってくる人や準備不足のために現地で支援物資の食料を食べ、かえって迷惑になるという人が続出していた。
「ボランティアはまだ行かないで」と言った趣旨CMがたびたび全国で流されていた記憶がある。

僕たちもまずはそのシステムにのっとり、登録用紙なるものに必要事項を記入した。
しかし、そこには長蛇の列。
テッドはこんなにも待てないという面持ちだった。
会場で人の整理をしているスタッフに僕たちのことを説明して、どこか別の部署に通してもらおうとテッドが言った。
日本人気質の僕には、規則を守らないテッドのやり方に少々気が乗らなかったが、ここは従うことにした。
テッドはこれまで大きな災害が起きたときに被災地でガソリンを無料配布する活動をするNGO団体の人で、これまでハイチ地震やハリケーン・カトリーナで被災した地で活動を行ってきた。
そして日本での大震災を聞き、ガソリンを無料配布しにやってきた。
だいたいこのような内容をスタッフのおじさんに説明した。
すると、この支援の内容を重要なものと感じてくれたのか、上階へと通してくれることとなった。
トッドのことについては何も説明してなかったが、トッドも僕たちと一緒についてくることができた。
宣教師と医者もついてきた。
エレベーターで連れて行かれたとその部屋にもけっこうな人数の人がいた。
そこは、ボランティアセンターの事務所のようなところだった。
蛍光色黄色いウインドブレーカーを来たスタッフたちが、慌ただしく動きまわっていた。
僕たちを連れてきてくれたおじさんは、ここで待ってくださいと告げ、下におりていった。
僕たちはそこにあったテーブル席に腰を下ろした。
少したって、センターの上層部のおじさんらしき人が現れた。
そのおじさんにも、テッドがここへ来た理由を説明した。
そしてここで初めて具体的にテッドが考えている支援の内容を他人に説明した。

僕「配布するためのガソリンはもっていませんが、彼(テッド)の支援団体の支援者から募った支援金がたくさんあります。それでガソリンスタンドから大量にガソリンを買って、被災してお金に困っている人たちが無料でガソリンを補充できるようにしたい」

おじさん「それは大変ありがたい計画ですし、今ガソリンがなくてそれを必要としている人がたくさんいます。ですが、その支援を実行するのは難しいと思います。そもそもが配布するためのガソリンが十分にないのです。」

ガソリン無料配布の支援を実行するのはそう簡単ではなかった。
話はそれ以上進まなかった。

今度はトッドの事情を通訳する番となった。
トッドもアメリカの災害支援団体に所属しており、彼のチームはこの日の夜にバスで仙台に着くことになっていた。
彼のチームには医者、ナース、カメラマンなどがいた。
トッドは石巻市に行きたいらしく、石巻の情報、行き方などを聞いた。
多くの情報は得られなかったが、現在石巻へ行くのは困難ということ、甚大な被害により支援が足りていないことが分かった。

テッドの次の作戦に移るために、センターを後にした。
車をとりにYさんの家に戻る途中で昼食を食べることにした。
どこの店も通常営業ができていない状態だった。
材料不足で正規のメニューが出せずにいた。
炊き込みご飯のようなものが食べれるラーメン屋に入った。
ラーメンは売っていなかった。
テッドが錠剤を飲んだ。そういえば、昨日から飲んでいた。
被爆を防ぐ薬だという。
君も飲んだほうがいいとすすめられ飲んだ。
炊き込みご飯のような昼食を食べ、テッドが2人分の1000円を払い店をでた。
2人とも出された水には手をつけなかった。

仙台市内のガソリンスタンドに行き、直談判することにした。
市内でも比較的被害が大きそうなところのガソリンスタンドを手当たりしだいあたった。
交渉するときにはテッドの言うことを的確に訳すことにした。

  僕「ここのガソリンを全て私に買わせてください。そしてこれからここに来る車には無料でガソリンを入れてあげてください。お金がなくて困っている人を助けることができます。」

店の人「とてもありがたいことだと思います。ですが、今ここでそのような支援を行ったら、たくさんの人が押し寄せてパニックになると思います。すみませんが、うちでは協力できません。」

  僕「協力していただければ、この活動が評判になって、後々お客さんが増えると思います。あのときここのガソリンスタンドは助けてくれたなぁって、お客さんが戻ってくると重います。」

パニックになるから協力できない。という答えがほとんどで、その後のガソリンスタンドも断られ続けた。
自分のガソリンスタンドだけが、そのような活動をして目立つというところにもあまり良い印象を抱いていないような気がした。
そのような空気を感じた。

夕方くらいまでガソリンスタンドをひたすらまわり続けた。
その後、仙台市役所に行った。
テッドが支援地として仙台を選んだ理由、それはテッドの故郷カリフォルニア州リバーサイド市と仙台市が姉妹都市だったからだ。
そこで、仙台市の観光課に行けば何か協力してくれるかもしれないというテッドの考えで市役所へと向かった。
観光課の職員達はとても歓迎してくれた。協力する内容が難しいこともあり、何も援助を受けることはできなかったが、支援に来たことに対して喜んでくれている実感を得たことがうれしかった。
「今度は観光で仙台に来てくださいね」と職員の1人に笑顔で言われた。

結局何も進まないまま、Yさんのマンションに戻ってきた。
「日本は今まで支援してきた国とはぜんぜん違う。お金を使うのがこんなに難しいなんて思わなかった。」
疲れきったテッドが口をこぼした。
支援をなかなか受け入れてくれない日本に、少々いら立ちのようなものを感じているような気がした。日本の誰もが支援したい気持ちを持っていた。
何かしたくても何もできない人がほととんどだった。
僕もその一人で、焦りのようなものを感じていた。
しっかりと準備をしたうえで物事を始めるからこそ、スムーズに支援が進む。
だがそれがゆえに、支援が始まるのが遅くなる。
動きながら考えるのか。動く前にしっかり考えるのか。
どちらがいいのだろうと考えさせられた。

しばらくすると、トッドの支援団体の後発隊がYさんのマンションに着いた。
災害支援に熟練したような風格の人たちが次々とバスから降りてきた。
トッドはこれからこのバスで石巻に入ることになった。
トッドのチーム、テッド、宣教師、医者が情報共有をし始めた。
僕はその輪から外れたところにいた。
未だに、この人たちのために何もできていない自分。
災害支援のスキルも知恵もない。
何ひとつ役にたたない自分を情けないと思う気持ちがその輪から遠ざけた。

話し合いもひと段落したところでトッドがチームの集合写真を撮ってくれと、カメラを渡してきた。
僕はそのカメラをうまく手につかむことができず、カメラをコンクリートの地面に落としてまった。
液晶モニターに大きなヒビが入った。
「ほんとにごめん」と言いながら、どこまでも役に立たない自分が悔しく、もう泣き出しそうになった。

トッドと別れるときが来た。

トッド「ソーイチローは、僕らをここまで連れてきてくれた。君がいなければ何も始まらなかった。カメラのことは気にするな。こういう状況のときは自分の想像しないことがたくさん起こるんだ。」

そう言ってトッドはバスで去っていった。


テッド「ソーイチロー、僕たちも石巻市に行こう。運転を頼む。」

さっきの話し合いで、石巻に行くほうがいいと思ったのだろう。
たしかにこのまま仙台にいても何も始まらない気がしていた。

「わかった」と即答したが、すかさずYさんが心配になって声をかけてきた。

Yさん「ほんとにいいの?石巻は危険だよ。私はあの人たち(テッド、トッド)ともう関わりたくない。準備不足のままいきなりやって来て、周りの人に頼りまくって。少し迷惑してるわ。」

僕「ありがとうございます。大丈夫です。僕、行きます。」

僕もYさんと同じことを感じていた。
ここへきてテッドの支援に対する準備不足を実感してきた。
この日、支援への協力をお願いするとき、相手の顔に迷惑がっている様子が見えることがありつらかった。
こんなことやらないほうがいいんじゃないかという考えが何度となく現れた。
でもやらなければいけない。
今彼らを石巻へ送ることができるのは僕しかいない。
自分のやっていることへの疑問を抱きながら、けれどその場で感じていた責任感に従い、僕は石巻に行くことにした。

石巻に行くには少々問題があった。
高速道路を使わなければガソリンが十分ではない。
その高速道路を使うには、警察署から特別な許可が必要。

トッドの支援部隊の通訳として一緒に仙台に来たSくんがこれを解決した。
Sくんとつながりがある石巻市の市議から支援の要請があり、その要請に応えたのがトッドの部隊であるらしい。その要請があったことを話せば警察署で特別通行許可証が手に入れられるとのことだ。
(※ここの記憶は確かではない)

要するにSくんがいればその特別通行許可証が手に入るのだ。
5人乗りのWing Roadは僕、テッド、Sくん、宣教師、医者を乗せて、仙台市の警察署へ向かった。

小さなモニターが天井まである大きな部屋だった。
靴を脱いで、その部屋に入り、必要事項を記入し、2、3質問に答え(Sくんが)、特別通行許可証は手に入った。

そして僕らは津波で甚大な被害を受けた石巻市へと向かった。
テレビで見ていた津波の被害を目の当たりにすることになる。
心臓はバクバクしていた。
心臓がバクバクしていたのは、他にも理由があった。
車がなかなか北上を始めなかった。
またしても道を間違えていた。
右往左往しながら、ようやく北上し始めた。
どれだけガソリンを無駄にしただろうか。それが気になっていた。
その後はSくんが市議と連絡をとりながら、どこのジャンクションに入ればいいとか、そこは通行止めになっているとかを教えてくれた。
道路の状況が極端に悪くなった。
ひび割れに注意しながら、けれど、急いで石巻へ走った。

夜10時頃、石巻河南インターを降りていよいよ石巻市に入った。
テレビでみた風景がそこにあった。
真っ暗な街にポツポツと立っている仮面ライダーなど石ノ森章太郎ゆかりのキャラクター像がさらに異様な雰囲気を際立たせた。
異臭がすごかった。

僕たちは、避難所となっている石巻駅前の市役所へ行った。
ここで寝かせてもらえることになっていた。
そこには、津波被害を受けた人々が避難していた。
みんな疲れきった顔をしていた。
何も声をかけることはできなかった。
声をかけようという考えすら浮かばなかった。
子供たちは、Nintendo DSで遊んでいた。
僕と同じくらいの年の男性が話しかけてきた。

男性「支援にきたの?」
 僕「うん。君は?」
男性「県外に住んでるんだけど、実家のある石巻に両親の安否を確認しにきた。」
  「まだ両親とは連絡がとれていない。」
  「明日は市内を歩くの?気をつけてね。僕みたいに帰れなくなるよ。」 
 僕「ありがとう、気をつける。」

帰れなくなるよ。ってどういう意味だったんだろう。それほど、外を歩くのは危険なんだろうか?
一気に恐くなった。


避難所のなかは静かだった。
室内は暖房が入っていたが、大きな部屋を暖めるほど十分なパワーはなかった。
みんな寒さに耐えていた。

おなかがすいた。
食べるものがない僕にテッドはかばんに入っていたサバイバルフードをくれた。
あたたかいミートソーススパゲティだった。
宣教師と医者は、持参したカロリーメイトらしきものを食べていた。
避難者たちは何を食べているのだろうか。十分な食料はあるのだろうか。
そんなことを考えながら食べていると、なんだか悪いことをしているように思えてきた。

寝場所はもちろん床だった。しかし、寝袋も何もない僕はその寒さをしのぐことは難しいと思った。
車のほうが暖かいと思い、移動することにした。宣教師が裏が銀色になっているサーモシート?を貸してくれた。
あとは、自分が持ってきた意味のない服を毛布代わりにした。
ガソリン不足なので、もちろん暖房はつけられない。
車のなかは思った以上に寒く、寝られなかった。
横になると頭の中がぐるぐる回った。
長くて寒い夜を過ごした。

3日目 終
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by nagatashikohjo | 2013-03-08 19:41 | ヤマモトシコージョ


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