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震災と僕とアメリカ人たちー3月22日ーコノ下、死体アリ

耐えた。

寒くて長い夜が明けて、朝がきた。

午前中は、石巻市の状況を知るために外を歩くことした。
津波被害を受けた石巻市の市街には、海水、ヘドロ、そして魚の腐った匂いがした。
映画のセットにいるような、現実とかけ離れた光景だった。
車が3台重なっていた。電信柱はほとんど倒れていた。
道路の上に漁船が乗っていた。
「がんばろう!石巻!」
そう書かれた横断幕がよく目についた。
店の中に入った泥を掃き出している人がいた。
「がんばろー!!」と大声で叫びガッツポーズをしてくるおばちゃんの顔は笑顔だった。
それを見て驚いた。
高校生のときにアルバイトしていた焼鳥屋の石巻店があった。
看板は泥だらけだったが、「扇屋」という文字がかろうじて読めた。
露店で生活用品を売っている若い人たちがいた。
急な坂道を歩いていると、おじさんが大声で声かけた。
「お父さん、お母さんは無事かぁ??しっかりしろよぉ!!」
道行く若者を見つけては、そう言って励ましているのだろう。
現に、自分の身の回りには親を亡くした同世代の人たちがたくさんいることを実感した。
被災者と自分。
明らかに立場の違う両者。
自分はもうすぐまた東京に戻って普通の生活に戻る。
暖かい部屋で、暖かい布団の中で寝る。
食べるものも十分にある。
電話をすれば両親ともはなせる。
でもここにいる彼らは・・・・
この違いはなんだ?どうして彼らだけ。
考えても答えはないこの疑問が頭のなかをかけめぐっていた。

昼。
配給のおにぎりが市役所の前にきたという情報が入った。
市役所の前には人だかりができていた。
もうすぐ帰る僕は、おにぎりを食べなかった。

Sくんとテッドは石巻災害対策本部へ行き、市長を含めて話し合いをすることとなった。
医者はどこかへ出かけて行った。
宣教師がもっと石巻を見たいといい彼についてまた外にでることにした。

津波で家が基礎から流された地域を一望できる公園を目指した。
宣教師は外を歩きながら、お昼ごはん代わりにカロリーメイトのようなお菓子を食べ始めた。
僕にも1本くれたが、被災者の前で食べることに抵抗があったのでポケットにしまった。
お菓子を食べ終わったあと、宣教師はそのゴミをその場に捨てた。
悲しかった。
たしかにそのあたりは瓦礫やへどろだらけだった。でも、だからといってゴミをポイ捨てするのはおかしいと思った。
この宣教師は、未曾有の災害が起き、最後の審判は近いと心を乱している各国のキリスト教信者たちを落ち着かせるために、現場を見に来たと言っていた。
こんな人に他人を心から思いやることなんてできるわけない。最低だと思った。
「今すぐそのゴミを拾え!!!!」
そう言ってやりたかったのに、言えなかった。
自分の心の弱さに失望した。
そんな自分も最低だと思った。
あのときそう言えなかったことが、今の今までわだかまりとなっているのだ。

丘の上にあるその公園に行くために、急な坂道を登っていった。
その途中でお年寄りを見かけた。
物資を取りに下まで降りて、またこの坂をあがるのは大変だ。
そう言っていた。

少し息を切らしながら、公園についた。

何も言葉が出なかった。
跡形もなく流された家々。自衛隊の車。
「コノ下、死体アリ。」と大きく白い文字で書かれた屋根。
今は静かな海。
その光景を見て泣いた。

公園には多くの人がいた。
「おおぉぉ!!お前生きてたのか!?」と友達との再会を喜び抱き合うおじさんたちの姿を見た。
そういうものを見る度に、自分が今いる場所を改めて知る。
そのくらいに、見るもの全てが現実離れしていて、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。

市役所に戻った。
Sくんとテッドは話し合いを終えていた。
やはり、ここにもガソリンはなく、無料配布は難しいとのことだった。
しかし、灯油なら十分な量を確保でき、灯油の無料配布を始めることができることになったそうだ。
まだまだ寒い石巻市では、とてもありがたい支援だという。
こうしてテッドの支援活動は始めることができるようになった。
灯油から始めて、ガソリンが手に入るようになったら、ガソリンの配布を始めると言っていた。
この場での自分の役目は終えたような気がした。

レンタカーの返却日が次の日にせまっていた。
ここに残っても食料を無駄に食べてしまうだけだと思い、その日の午後に東京へ向けて戻ることにした。
ついでに次の日に国外での講演があるために成田空港にいかなければいけない宣教師を成田空港近くのホテルへ送ることとなった。

テッドと別れるときがきた。
テッドはポケットからまるまった米ドル札を何枚か出して僕に渡した。

テッド「この額で満足か?」
  僕「うん。」

ホテルでテッドと会い、テッドの頼み事を受けたときから僕はテッドに雇われていた。
お金なんかいらない。と断ることもできたが、その一言は最後まで出なかった。
僕は未だに、お金をもらったことに対して自分の中で納得できていない。
被災地支援のために何かしたいとずっと思っていた。
3月11日が過ぎて、客のいないホテルでのラウンジで流れる被災地の映像を見ながら、うずうずしていた。
そんなときにあらわれたテッド。
お金をあげるから手伝ってほしいといわれたとき、被災者のために何かができることがとても嬉しかった。
だが、お金を断ることはしなかった。
お金をもらったことに罪悪感を抱いていれば、お金をもらって支援する行為が汚い行為だと言っているようなものだ。
そうではない。
だけど、何かがひっかかっている。
テッドからもらった米ドル札はまだ使えずに財布の中にしまっている。

テッド「ソーイチローに出会っていなかったら何も始まらなかった。君は僕をここまで連れてきてくれた。君のおかげで支援も始められることになった。十分に役目を果たしてくれた。ありがとう。」

最後にテッドはそう言った。

宣教師を助手席に乗せて、Wing Roadは石巻を出発した。
成田空港近くの東横インに着いたのがけっこう遅い時間になったため、僕もそこで1泊して次の日、上野のレンタカーショップへいくことにした。

翌朝、部屋でつけていたテレビでやっていた朝の情報番組では、イラク戦争の映像が流れていた。
宣教師とも別れ、1人になった。
成田から上野までを下道で帰った。
渋滞に巻き込まれひどく時間がかかった。
上野警察署で、特別通行許可証を返却し、レンタカーショップに車を返した。
何事もなかったかのように、電車に乗って家に着いた。
東京にいると、昨日のことがウソのことのように思えた。
違う世界へ行ってきたかのような錯覚を覚えた。

その日の東京は雨だった。
放射性物質が含まれた雨だと騒がれていた時期に、ずぶ濡れになって帰ってきた。
傘を忘れて出かけてしまった。



(その後、石巻日日新聞、毎日新聞にテッドの支援の記事がのっていました。
その記事で「これでようやく暖がとれる」というおじいさんからのコメントが載せられていました。
それを読んで、胸のあたりでつっかえていたものがとれて、血が循環し始めたような、ホッとした感覚を覚えました。)
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by nagatashikohjo | 2013-03-09 23:33 | ヤマモトシコージョ


東京都墨田区にある工場の2階に住んでいます。


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