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震災と僕とアメリカ人たち―3月20日―味のないチョコレート

朝7:00かそれくらい、熟年ホテルスタッフの声で目が覚めた。
テッドが電話をさせたらしい。  

テッド「新しいアイディアを思いついたから来てほしい。通訳が必要なんだ。」

予定では、あと1時間寝て、それからゆっくり起きて、ヌテラをたっぷりぬったパンとコーヒーという最近お気に入りの朝食を食べるつもりだった。

僕「わかった午前中にはそっちに行くようにするよ」

そう言って、二度寝に入ろうとしたがそう簡単に眠ることができなかった。
何かが二度寝することを妨げていた。
行かなきゃいけない、むしろ行きたい、何かが自分をそうさせていた。
急ぐことはしなかったが、着々と出かける準備を進めた。

ホテルに着いたのは9時から9時半の間だったと思う。
まず1階のカフェにテッドの姿を探したけどいなかった。
朝ごはんを食べながら待ってようと、来る途中のファミマで買った「1日に必要の1/2の野菜」を開けた。
ご飯を食べて、コーヒーを飲んだが、まだテッドはこない。
来てすぐに部屋に電話したが、でなかった。
しびれをきらして部屋に行った。テッドはいた。
パソコンをいじっていた。
耳にはイヤフォンをしていた。
俺の顔をみいるやいなや、
  
テッド「ごめん、今から昨日の宿に行くことになった。そこでミーティングがあるらしい。君の連絡先がわかんなかったから連絡できなかったよ。もしよかったら一緒に来るかい??」

キョトンとした。
(ミーティングって昨日言ってたヤツだよね、あれって元から俺も参加する予定だったような…)
 
僕「OK、俺も行くよ、下で待ってる。」

思えば、この時のこの答えが、この先の展開の大きな分岐点になった。
待ち合わせの時間まであまり時間がなかったのでタクシーで向かった。

空気を読むという言葉を初めて使った人はかなりユーモアのある人だと感心する。
でもこのときは読むという動詞はふさわしいものではなくて、空気を感じたといったほうが近い。
それは宿に着いたときの明らかに歓迎されてない空気だった。

そこには、トッド(昨日この場所で出会ったアメリカ人)と福島から帰ってきたばかりのHさんがいた。
トッドもアメリカから震災支援のために来たそうだ。
重々しい雰囲気だった。
誰が最初に口を開いたかとか、詳細はすでに頭の中に残っていない。
おそらくテッドだったような気がする。
今回は、Hさんが英語を話せるということで、通訳の必要はなかった。
僕は3人の話し合いを聞いていた。
Hさんからは期待していた答えをもらうことができなかった。そして、話しは違う方向へと進んでいった。

トッド「仙台に行きたいんだけど、誰か車を運転してくれる人を貸してもらえるかい?Hみたいに英語が喋れて、現地に詳しい人ならベストだ」
Hさん「俺は忙しいし、心あたりもない」

僕の頭がせわしく動き始めた。
「もしかして、この中でそれに該当するのって俺だけ?現地について詳しくはないが、とりあえず英語は喋れるし車も動かせる、ちょうど今日から3日間の休みだ。でも、車なんて3年くらいまともに運転してないし、長距離とか初めてやし、正直恐い。でも俺がやらなきゃ誰が……?」

「俺がやるよ!!」という声がのどまできていた。
あとひと押しを待った。
それはすぐにやってきた。
 
Hさん「彼はどうなの?」
トッド「もちろん彼がやってくれるなら最高だよ、君運転できる?」
僕「できるよ」
トッド「この役、引き受けてくれる?」
テッド「おいおい、彼はホテルの仕事があるから…」
僕「やるよ!!仕事は今日から3日間、休みもらってるから大丈夫。」
 
こうして僕は震災後9日後の宮城県仙台市に行くことになった。

「やるよ!」と威勢よく言ったものの、言葉とこころが一致していなかったのか、全身の震えという形でこころが体に抵抗してきた。
その場にいた、宿のスタッフIさんに思わず話しかけた。

僕「かなり不謹慎だけど、なんだか今この状況を楽しんでます…」

そういったときの僕の言葉は、隠せないほどに震えていた。
それを聞いたIさんの顔は僕が期待していた表情ではなかった。
自分がこれからやろうとしていることが、本当に必要とされているかどうか不安で、むしろ迷惑になるんじゃないかと思っていた。
「しっかり頼むよ、がんばってきてね」と誰かに言ってもらいたかった。
 
そうと決まれば、まずレンタカーを借りることにした。
入谷近くのレンタカーショップリストをだし、片っぱしからかけてみた。
1件目。断られた。
レンタカーを借りて被災地に行く人が多く、そのまま帰ってこないということが続出していると電話口のお兄さんは教えてくれた。
2件目。OK。
以外にも2件目で車は見つかった。
山口の実家に帰るというウソをついた。
宮城と東京の往復の距離と山口と東京の往復の距離も同じくらいだからバレないと思った。
あたまの中のテキトウな定規で距離を測った。

急いで上野のレンタカーショップへ車をとりに行った。
新型のWing Road はとても綺麗な車だった。
無事に車をGETし、荷物をとりに家に戻った。
そもそも何を持っていけばよいのかわからなかいし、頭は正常に働いていなかった。
とりあえず服が必要だと思い、服を詰め込んだ。
気付いたらバックパックの中は服だけだった。
俺はもう一つ大事なものを取りに帰っていた。
危険物取扱免許(乙4)。
これを持っている人が作業員に1人いれば、周りの人もガソリンを扱うことができる。
この免許を持っていたことが、今回のこの役を引き受けることに至った一つの大きな要因だ。
テッドがたまたま出会った人が、英語が喋れて、運転免許をもっていて、3日間休みがあって、さらに乙4を持っていた。
運命だと思った。
準備は整っていなかったが、それ以上考えても何も思い浮かばなかったので、出かけることにした。
ちょうど在宅中だったシェアメイトのNくんに、仙台に行くことになった旨を伝えた。

僕「めっちゃ恐い。死ぬかもしれん。」

Nくんは明らかに困惑した表情をみせた。
そのときの僕の声も震えており、目には涙がたまっていた。
そしてもしものことがあったら親に連絡をしてもらうようお願いして出発した。
ほんとにもしものことが起きたら、具体的にどうやって親に連絡するのだろうと思ったりしていた。

宿の前の一方通行の道路を逆走しながら、Wing Roadを引きつれて、入谷の宿に戻った。
テッドは出発を前にして、アメリカの奥さんに電話をしていた。
「原発の近くを通るんでしょ?大丈夫なの?また爆発したらどうなるの?」
電話ごしに聞こえてくるテッドの奥さんの興奮気味な声に、緊張感が増した。

ルートは4号線をずっと北上するだけだ。
簡単な道のりにホッとし、はりきって出発した。
そしてはりきって道を間違えた。
ナビの使い方に慣れていないので、高速道路を使わずに行くルートを探すことができない。
悪戦苦闘したが、しばらくすると無事に北上していった。
Wing Roadは高速道路を快調に走りだした。
一直線の道をひたすら走った。
ほとんど車のいない高速道路をときには百うんじゅっキロのスピードで走った。
車内でどんなことを話したかはほとんど覚えていない。
テッドとトッドはそれぞれがこれまで支援してきた被災地での経験を話していた。
「こういう状況では自分が想像しないことがたくさん起こる。何があっても落ち着いて行動することが大事だ。」
トッドが諭すようにこのことを僕に言っていた。
何も会話がないときは、PCを使ってそれぞれの所属する支援チームとのやりとりをしていた。
僕は知っている英語の歌を歌ったり、道を間違えたりしていた。
Elton Johnの"Your Song"は車内で大合唱となった。
福島県を通り過ぎるときは少し緊張した、空調を切り、窓を閉めた。
特に意味はないと思っていたが、出来る限り息を止めた。
 
仙台に到着したのは22:30頃だった。
約10時間かかって、仙台についた。
最大で震度7を観測した仙台市だが、思っていたような被害は見た目ではわからなかった。
その日はトッドがメールでやりとりしていた、Yさんのマンションの1室に泊まることになった。
そこにはまた別のアメリカ人2人がいた。
1人は医者で、もう1人はキリスト教の宣教師だった。
2人がどういう経緯でここに来たのかは覚えていないが、その後彼らと共に行動することととなった。

電気はついていたが、断水していた。
部屋に腰を下ろし、少し落ち着いたところで、自分のバッグの中を確認したが、そのなかにはこれから先役に立ちそうな物がひとつも入っていないことに気づいた。
食べ物もない。
寝袋もない。
かたやサバイバル用品がたっぷり入ったテッドとトッドのバッグ。
今何が起こっても1、2ヶ月は生き延びられるぐらいの荷物はあると言っていた。

深夜、トッドの要望でネットカフェへ行った。
仙台の商店街にそれはあった。
仙台市内は大きな余震がひっきりなしに起きていた。
東京にいたら慌てるくらいの大きさの地震が頻発していたが、そのときは完全に地震なれしていた。
ネットカフェの店員も客も、そんな大きな地震に対して何も反応をしなかった。
異様な光景だった。
これといってネットを使う用もなかったが、暇なのでFace bookを開いた。
自分のタイムラインに今の状況を簡単に報告する文を投稿した。

(当時の実際のFB投稿より)
I'm at Sendai with two Americans who are in relief organization. But this two are in different org. It's hard to tell how i met them n why I'm here.. anyway I'm here for translator or driver n some like that.
(今、アメリカ人の災害支援団体の2人と一緒に仙台にいる。2人別々の団体に属している。どうやって彼らに会ったのかや何で僕がここにいるのか………、何て説明すればいいかわからない。とにかく通訳兼ドライバーとしてここに来てる。)
2011年3月20日 0:53 · いいね! · 1

I think what I'm doing is kinda stupid..I made people around me worry about me....
I wanna say " I'm sorry" for this careless action. I might cause a trouble, we'll never know...
(今自分はとてもバカなことをやってる気がする。周りの人を心配させた。こんな軽卒な行動をとったことに対して謝りたい。先のことはわかんないけど、いろいろ問題も起きると思う。)
2011年3月20日 0:57 · いいね! · 1

But let me also tell this, that I'm not regretting coming over here. I'll do my best for this two people can work as much as they can..
(でも、ここへ来たことを後悔してない。この2人がここで思う存分活躍できるようにベストを尽くしたい。)
2011年3月20日 0:59 · いいね! · 1

「ここへ来たことへ後悔はしていない。」何度もこの言葉を口にしたような気がする。

その日の夜は、仙台へ来る途中のコンビニで買ったアーモンドチョコレートをむさぼるように食べた。なぜか何も味を感じなかった。

第2日目 終
by nagatashikohjo | 2011-04-04 21:02 | ヤマモトシコージョ


東京都墨田区にある工場の2階に住んでいます。


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